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2015年4月

2015年4月23日 (木)

わりと最近の話(平成27年4月下旬ごろ)

この道路標示(看板)が好きなんだな。

P4000000j

上の画では雑ぱくすぎるか…

(詳細)
P4000001j

廣嶋付近の「新幹線」標示は,割と新幹線0系電車の特徴をつかんでいる。
特に両端スライド窓。これ,開く構造だったからね。
わたくし,新幹線100系(東北・上越新幹線200系電車2000番台でも良い)の
「釣り目」はどうも好きになれなかった。

こんな感じの画。
P4000001j2


原図(今はCADデータか)持っているところは,
一年でも長く新幹線0系電車を顕彰すべく使って貰いたい。
ま,難しいだろうけど。踏切注意が汽車から電車に変わったように…



わりと最近の話なのに,あまり報道されなくなった物。
案外同じ発想を持った人が多い事が面白かった。
野次馬根性って,仕方無いね。

P4000003j

平成27年4月26日から27日早朝にかけてエプロン側に
移動されるそうなので見学はお早めに。
(もっとも,当面留置されるからまだまだ見られる)

P4000002j

なお,ILS復旧まで相当時間が掛かる見込み。(7~8ヶ月)
某国,ホント平時でよかったな。
時期を誤ると政府も相応の措置を執ったであろうよ。

それ位,弁解の余地が無い事故だった。
霧で見えなきゃ,もっと早い段階で着陸復行するだろう普通…

こう考えられるのも,フライトシミュレーターやったことがあるから。
一般人でも結構勉強になったんだよ。ILSやビーコンの重要性。
今はあの会社,手を引いたからな。理由?あ…

2015年4月17日 (金)

追悼・愛川欽也さん

知っている人は知っている。
ロンパールームのおねえさん(うつみ宮土理)はすでに立派な芸能人。
ロンパールーム放送前の時間帯に放送された「おはよう!こどもショー」で,
ロバの着ぐるみの中の人だったのが若き日の愛川氏。
役者志望ながら色々な仕事をやっていらした。

時にハクション大魔王の「それからおじさん」や,
いなかっぺ大将の「ニャンコ先生」といった声優までやり,
そのうち目的であった芝居,テレビ番組の司会業に進出し,
遂に冠番組を持つに至った大器晩成の人であった。

また,昔の番組を回顧する番組で「世界名作劇場」を
取り上げて「どうして今のテレビはこういう優しい物が出来なくなったんだろう」
と発言したりと,自分に正直に生きた人であった。

その昔,料理番組で供されるカボチャには手を付けないことについて,
「むかし食べ過ぎたから,もういいんだ」(戦争中のひもじさを思い出すから)
とやんわりと交わしていたことも思い出される。

なお,此方では「出没!アド街ック天国」はテレビ東京系列局がないため,
不定期放送であり,近年テレビで拝見することもほとんど無かった。

なにも菅原文太さんとは映画「トラック野郎」シリーズで
共演していたからといって,ここまで付き合うことはないだろうと思った。

また一人,味のある,誰も真似できない個性の持ち主が居なくなった。
さみしくなるね。



本当に昭和は急速に無くなって行ってしまっていると考えさせられる。
そう。昭和50年代までは本当に日本は物が無かった。
特に地方は戦後すぐ,昭和30年代前半の物もずっと使われていた。
其の後,修理して使わない文化は昭和末期のバブルに始まり,
平成十年代になると本格的となった。

今や,人も使い捨てる「総アウトソーシング時代」という
恐ろしい状況に至ってしまった。
さて,今受託して仕事している人もいつかは退職・引退する。
そうなった時,一体誰にやってもらうつもりなんだい?

ベテランが引退すれば,一番大切な「失敗データベース」を
一瞬にして喪失することとなるから,十年,二十年先を見据えて
一定数を安定数雇用し,篩い分けで残った者が次世代を育成する。
こんな「当たり前のこと」を「理想論」と一瞥する今の上級管理職は,
今さえ良ければ良いんだ病患者としか考えられない。

ま,本人が介護保険を使う側になった頃に身を以て知ることになるよ。
このまま行くと,ヘルパーさんは外国出身者か同世代の「老人」だ。
さんざん人を使い捨てた当然の結果。甘受する覚悟を。



今の日本は大器晩成形には厳しく,育つまで辛抱強く待って貰えない。
だから,愛川欽也さんのような「そこに居るだけで明るくなる」芸能人は,
今後出てきたとしてもごく僅かだろう。
人間も他の生物同様,早熟・標準そして晩生とあるのにも関わらず…

2015年4月10日 (金)

医薬品の一般名を簡単に変える厚労省…

やっと広まった一般名をサクッと変えちゃうこの感覚,
さっぱり分かりません。
国交省(旧建設省時代から)建設機械のように,
長年の慣習呼称の統一をやったら,
簡単に名称変更などはやらないね。

ユンボ→バックホウ(土を掘ってるあれですわ)
キャタピラ式(キャタピラーは登録商標なので…)→クローラー

等々。

それに比べると,薬剤師さんは大学で「薬科」を修めているから,
頭に入る容量が土建業者とは「違うんです!」とでも言いたいのか?
ころころ薬剤名を変えられた上,処方箋も一般名で出すように
医師に市町自治体(国民健康保険事業の主体)が強く要請しているから,
余計めんどうだし,誤る可能性をわざわざ作っている…



何で愚痴っているのかというと,
折角書いた「総合感冒薬」の「一般名」が変わってしまったから。
書き直すのめんどくさい…

(旧)                    (現)
プロメタジン1.35%等配合顆粒→非ピリン系感冒剤(4)顆粒
PL配合顆粒などの「一般名」

(旧)                    (現)
プロメタジン1.35%等配合錠→非ピリン系感冒剤(4)錠
ピーエイ配合錠の「一般名」

別に覚えなくても良いのだが,コンピュータネットワークに
リンクした処方管理をやってる「システム屋」を
メンテナンス料で食べられるようにと考えているとしか思えん…

そして,独立行政法人などの「外郭団体」は,
国家公務員キャリア組の「肩たたき退職者」がトップに座る。
数年で退職して,退職金数千万円を持って去る。



国土交通省など,公共事業で「税金」を沢山使う省は,
それなりにコストダウンと工数縮減による労働改善を促しており,
ああ見えてもよくやっていると考える。

しかし厚生労働省を見てみると…
ま,「厚生省」時代からアンポンタンの穀潰しばかりが揃ってたからなぁ。
グリーンピア」創って「国民年金」をドブに捨ててみたり…
※しかし,公務員の年金「共済年金」は無傷だからね!

ま,物作って目立ちやすい国交省にばかり厳しい会計検査院も
厚労省のこういった謎な施策を追認するようでは,
いい加減な組織にしか見えないね。



と,さんざん愚痴を書いたので,
分かった範囲で過去記事の改題をやることを
前向きに検討している。

2015年4月 9日 (木)

平成27年第1四半期の彩色動画について腹くくっていこう…

正直,今回は乗り気では無い。
いや,月初までに書くには書いておいたのだが…
折角だし,やはり公開することとするので,
腹くくっていこう…

(方針)

基本的に「記載の無いもの」については視聴していない,
或いは視ても全く興味を持てなかったのか…
つまり,わたくしの記憶には残らなかったのでした。



特甲(特に楽しめた)

・大変残念なことに,そのような物は無かったのでした。



甲(楽しめた)

・夜ノヤッターマン(武蔵國多磨郡あたり)

率直に言うと反則です。当時の制作者と其の会社が作った作品ですから,
その世界観を上手く転用し再構築できるのは御社自らしか在りません。
 それから,昭和のヤッターマン以降の作品を見たことがある人ならば,
オチは3話辺りで察しが付くのでした。ヤッターマン「伝説」にしてしまえば,
時を経ての善悪逆転劇は起こりうるので,話も創りやすくなるのでした。

 ドロンボー一味はお宝が欲しいという「欲」以上の動機は無い。
毎週同じ事を繰り返していたのは反省が足りないというか,お約束…
だからと言って,ヤッターマンが「絶対の正義」であったのかと言えば,
それは誤りである。「義」に過ぎる者もまた邪である。

 スーパーバイザーさんが機会毎に伝えて来た事。
この人はふざけた話をやっても,勧善懲悪に仕上がって来るのです。
しかし,善が必ずしも良い結果を生じない事もある世の中の不条理。
本当の悪とは何なのか。人間は皆等しくこの相反する特性を持っています。
この辺りの思想があるから,如何様にやっても話の筋が通っていました。
しかし,シリーズ構成担当者は人生を過ごした時間の差もあって,
どのように構成すれば良いのかと辛苦した事もあったかと推察します。

エンディングの映像も上手かったのです。青い鳥を探すイメージ。
よく伝わって来るのは,シンプルなコンセプトを素直に動画にしただけ。
見習う処が沢山在ったと,わたくしは考えます。 



・冴えない彼女の育てかた(武蔵國多磨郡成宗あたり)

※暫定評価。続編が無かったら「殆ど楽しめなかった」になります。
 後日,確実に完結させることが大切なのです。
 「たまゆらシリーズ」の根性を見習わなくてはなりません。
 (松竹の都合が主たる要因だとは思うけど。最初はBDたった…)

監督,変なフラグ立てると繰り返しになりますよ。
あの続編は何時になりましょう?
正直,ハーレム系はもう良いのです。うんざりです。
しかしわたくしは,このような「分かり易すぎる」系統でも
気に入る物はある事を認めなくてはなりません。

この監督さんは,まるで西日本旅客鉄道が導入した
地域色のように,キャラクターを色分けした表現をしますな。
以前に監督がやった作品で,全編淡いパステル色調を試みた処,
「やり過ぎ」と言われたのでしょう。部分的かつ効果的に使うようになりました。
 個人的には,前編淡い色で作って「この監督の特徴」と言わしめるまで,
徹底的にやって貰いたかったのですが,現状では難しいのでしょう。
残念なことに人間は誰しもが食べて行かなければならないのです。

しかし,演出を他人が手がけた話で「パステル色調」演出では無く,
パステル色調+「縁取り線を太く強調」演出されてしまったのは,
監督不行き届きの誹りを受けても仕方無いですな。一寸残念。

続編がある事を条件として,楽しめた扱いとします。



乙(まあ,楽しめた)

SHIROBAKO(越中國呉西あたり)

一体何があったのでしょう。2クール目に入った途端,
1クールを装飾した程度の話しか無かったように感じられたのです。
ま,ぶっちゃけ第22話は「ぶっちゃけ過ぎ」でしょうに…
(屋台で酒飲んで愚痴ってる辺り,リアル以上の物があった…)

脚本家さんが次作の準備からか,外れる回があったからでしょうか?
監督の思いと異なる,当初方針の不徹底があったように感じられたのでした。
 所謂「まんが」です。この作品は「アニメンタリー」ではありませんから,
本当にあったと推察される出来事を描かれてしまうと視聴者は楽しめません。
 深夜の彩色動画でしょう?よいこは皆,寝ています。
それから,よいこは深夜の彩色動画を録画してまでは見ないでしょうから,
視聴者の多くは大人であろうと推察出来るの筈です。
 そのあたりを承知の上での加減が第1クールにはありました。
しかし,残念なことに第2クールは上手くありませんでした。

無意味ではありません。製作会社には外部の方を招請した意味はありました。
従前のままだと「花咲くいろは」の様にキャラは可愛いんだけれども,
結構ドロドロな欝展開話を延々全26話見せられるといった事態を
繰り返していたであろうと,わたくしは考えます。

この事を,今後製作される御社の彩色動画へ生かされますように。



丙(あまり楽しめなかった)



丁(全く楽しめなかった)

あ~,正直書きたくないですな。
賢明な者ならば,同じ事を考えるはずです。
しかし,PVの絶対値が少ないのでお目こぼしはある筈…

・艦隊これくしょん-艦これ-(武蔵國豊島郡関村あたり)

典型的スポ根ものに仕上げたり内容は六話もあれば十分も
三月をやるために間つなぎの話が散見された上,
間つなぎ話の方が面白い趣向であつたりとちぐはぐな有様。
「なんだかとつても嫌な音がするのです」の件とか。
正直,ブラウザゲームなどを通じ好事家に至つた者への
ご褒美でしか無い存在。

どうやっても期待値の「絶対値」が高い分,
このようにしか,やりようが無かったのでしょう。
作り手は頭を抱えるか,開き直るしか無かったのでした。

続編は望みません。しかしわたくしの希望はおそらく叶わないでしょう…



色物(完全なる別枠)

ちょっと残念になりました。惜しいことです。

・ユリ熊嵐(武蔵國多磨郡下連雀あたり)

第8.5話には正直がっかりでした。
何故「特別放送」扱いにしなかったのか理解出来ませんでした。
約24分もの間,三人が話しているだけでは在りませんか!

 そして悲劇は続くのでした。
それまで禁欲的と言って良いほど「直接的な描画」をやらなかったのに,
第8.5話の次回,第9話は誰もが分かり易い表現になり果てていたのです。

 このままではと諸方面から注文があったのでしょうか?
わたくしはこの業界とは全く接点がありませんので,
全てが私の推論であることを断っておく必要があります。

 時間を稼いでいる間に,見直しがあったとしか思えないのです。
人間は食べて行かなくてはなりませんから…
 創作を任せられた以上,可能な限りやりたいことをやって,
それで上手く行かなければ諦めることは出来ます。
 こんな未練の残る形が本当に本意だったのでしょうか?
第8話まで,成功しつつある状況だっただけに,残念でなりませんでした。

 あ,抑も第3話で視るのを諦めた人はかなり居たと考えられるので,
第4話以降でやっと「本題」に入るのは,製作上の冒険だったと思うのです。
 それ位,今の世の中は「待てない人」が増えてしまったと言えるでしょう。
勿体なかったのでした。



(愚痴)

昭和末期までの彩色動画は「全52話」(一年間)が「当たり前」だったのです。
 その一年を過ごすために,どうでも良い回(総集編)や,
放送期間中に「大幅な方針変更」をやったりとか,
スポンサーからの「延長依頼」や「打ち切り宣告」(我が儘)に付き合ったりとか,
間延びする物も沢山在りましたが,時間を贅沢に使える時代だったと考えるのです。

 それを今の若い人には体験させられない処が気の毒だと考えます。
これは彩色動画に限らず,全業種に言えることです。
 人を育てず,目先の利益確定に勤しみ,十年,二十年先の事を
考えてこなかったもの達と,それを見て,指揮命令に従順であった
世代の責任と考えています。

 また,この国が現在の経済規模をどうしても維持したいのであるのならば,
一定数の移民は必須でしょう。
 抑も先の大戦以前の平均寿命は約五十歳。内地人口は約八千万人でした。
一億二千万人を養える能力を有していない国土の国家がどうすれば,
余剰の四千万人を食べさせて行くのか…
 わたくし達に残された時間はそう多くはありません。
身の丈生活をする覚悟があるのならば,皆が一寸づつ我慢すれば済むのです。

そうすれば,全てのものは「人が関わって作られている」事を思い出し,
こんな短期間で結果を出すような,無謀な手法は自然と解消するでしょう。

わたくしは,そのような方向にこの国が進むことを強く希望します。



(次期展望)

あまり多くを期待しません。昨今の彩色動画に飽きつつありますから,
期待の絶対値は低い方が良いのだと思うようになりました。
 続編ものも多いようですし,完全オリジナルものは僅かです。
番組HPもお金のかけようがあからさまな処もあり,
「どうしてこうなった?」となりそうな地雷もありそうです。

2015年4月 8日 (水)

「夜明け」と言えば…

夜ノヤッターマン最終話「夜明け」という
タイトルでちょっと思ったこと。

「夜明け」といえば,何故かショスタコーヴィチ交響曲第12番第4楽章には
アウローラ(夜明け)」という表題が付いている。

楽曲の構成上,1917年の出来事についての表題音楽とされているから,
第4楽章はフィナーレにふさわしく「盛り上がる」のだけれども,
そこはソ連邦(ソビエト露西亜)の共産主義(イデオロギー)的に,
西側には無い「独自の音楽」が求められていたから,
作曲者は体制になびくか,上手く真意を偽装して成功させるほかなかった。

聴いた感じ,交響曲第11番「1905年」の続きであり,
革命が成ったという「連作」とされているけれども,
そんなに関連性があるようには聞こえてこない音楽。
何となく「どーだ。すげー事だったろー」みたいな
白々しさがある代わりに,前作よりは深刻な音楽ではない。

※尤も,ショスタコーヴィチの「商業音楽」を除けば,
ある事件以降に作曲された音楽は異常に暗い。
これも含めて「露西亜」なのだろう。
夏は短い。白夜がある。凍てつく大地。
マイナス20度?冬なら普通。マイナス40度で
「外に居ると死ねるかもな」って感覚。
それでも住んでいる人が居る処。露西亜。



いやぁ,Bパートの「昭和演出」(同じ動作をしつこいくらい繰り返す)
により,伝説を改める(記憶を書き換える)事を映像化しちゃってるので,
これは笹川ひろしさんの終始一貫した思想に基づく演出に相違ないと
考えるに至った。
(昭和演出は尺稼ぎの側面もあったのだけれども。当時総手書きセル画だから,
時として「間に合いません」となった場合の手法。最終手段は「止め画」…)

僅か3分程度の間に同じ動作を3回繰り返しているのだから,
現代人には「同じ動画の繰り返し,飽きた」位にしか思われないだろう。
しかし,こっそりと記憶の書き換え(上書き)をやってのけている。
過去11放送回で形成された記憶(ヤッターマン負の伝説イメージ)
を「今,正に書き換えている」ことに気づけた人はどのくらい居たのだろうか…

ショスタコーヴィチの楽曲も,複雑で演奏者泣かせな難しいものだが,
フレーズ自体は似た形の物が何度も何度も繰り返し出てくるという代物。
「しつこさ」が共通点。これは「この音型に留意せよ」という作曲者の
意図があったのかも知れないし,作曲家に弄ばれてしまう宿命の
凡人たる私を含む多くの聴衆に対する欺きなのかも知れない。

「意味ありげで,実は単なるフレーズの繰り返しですわ…」

なお,ショスタコーヴィチ氏はサッカーが好きで審判員の資格保持者でした。
若い頃は所謂「ジャズ組曲」など,妙ちくりんな迷曲(ライトな感じ)を
書いている人でもあります。



ショスタコーヴィチ交響曲第12番のお奨め録音は,
やはりエフゲニー・ムラヴィンスキー指揮の楽団の物が無難。
1962年の物は「最期のスタジオ録音」(セッション録音)であり,
1984年の物は「最期の指揮者が許した録音」である。
以降,亡くなるまで録音は不許可だった。

なお二つの録音ともに,第4楽章は事故っているのだが,
晩年の1984年事故は指揮を誤ってしまい演奏まで乱れてしまったから,
「これ以上,記録に残す価値のある演奏は不可能」と思ったのだろう。

ムラヴィンスキーはご丁寧に,幾度となく繰り返しやった楽曲でも,
常に譜面台に総譜を置いて,一々めくりながら指揮していた。
しかし,ここまでやっても事故った。楽曲の記憶が飛んだのか,
振り間違え(音の入りの指示間違い)をやってしまった。
だから,本人自身が事の重大性を一番知る者だった。

この辺りはアルトゥーロ・トスカニーニと同じく,
振り間違えて演奏が止まったら「お終い」。
毎回覚悟して演奏会に挑んでいた証拠である。
(トスカニーニは強い近眼で総譜を譜面台に置いても見えないから
丸暗記していた。記憶が飛んだ時点で終了。
実際記憶が飛んで指揮不能から演奏が止まってしまい,引退を決めた)



あ,楽曲については正直,ショスタコーヴィチを聴くこと自体
積極的にはお奨めしない。情緒不安定になるで暗い曲が多いから。
現に作曲者自身,作曲および演奏会発表(初演)という行為自体が
作曲家生命に直結するという,想像も出来ない状況下で作成された音楽が殆どで,
クラシックを聴き始めた人に聴かせたが最期,もう二度と関わろうとしないだろう…

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